
mardi 28 mars 2006【 記憶のリング 】
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友人とCDを見ていたときのこと。「なんかよい曲ない?」と聞かれたのだった。「これ、このあいだ聞いたんだけど」と、友人を店の片隅に引っ張っていき、あるCDをすすめ、けっきょく友はそのCDを買った。
何年かたち、友人と再会したとき「そういえば昔××というCD教えてもらったよね」と友は昔話を始めた。「あれ今でもときどき聞くんだよ。教えてもらってよかったよ」と。それを聞いてなんとなく嬉しい自分がいたのだった。
それから月日が流れ、その友人と何かの機会にまたその曲の話になったとき「あの曲、本当にいいよね。むかし友達の△△にすすめられて買ったんだ」と友は言った。
?!。△△は私ではない。友人の記憶が変容している。
私はさりげなく、そのCDを買ったとき一緒にいたのは私ではなかったか、と聞いてみた。しかし友人は、△△とどのようなシチュエーションで買ったのかをすらすらと説明したのだった。
記憶の変容は偶然起こったりしない、と私は薄々思っている。何かのきっかけがないかぎり、あるべき記憶が他の記憶と置き換わったりしない。そして記憶というのは、えてして望むものへと姿を変えるのではないかと。
ある時期に友人に何かがあり、それが記憶を変化させる。それは友人の私に対する評価や感情に由来しているのかもしれない。逆に私ではなく△△への感情に起因している可能性もある。
しかし記憶が変容したのは、本当に友人のほうなのだろうか。実は私のほうなのかもしれない。
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