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dornblatt
*lundi 6 mars 2006

【 それはギリシャ人やローマ人にとって野蛮な風習だった 】

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まないんだったら破棄してくれということで「死海文書の謎」という本が手元にまわってきました。柏書房から1992年に出た本です。
前半は、この考古学的な文書がどのように扱われてきたか、といったことについて書かれているのですが、そのことにさほど興味もないので、後半からの文書の内容に関する部分を読んでおりましたところ、ちょうどTBSの世界遺産という番組で、イスラエルのマサダが取り上げられていて、そっちも横目で見ながらだらだらと読んでいたのでありました。
だらだらと読んでいると、えてして目では字を追っているのに、内容はぜんぜん頭に入ってこず、頭ではまったく別のことを考えていたりします。
そのとき私が考えていたのは、システィーナ礼拝堂のミケランジェロが描いた最後の審判の絵のことでした。
最後の審判が描かれたとき、群像は裸体だったため、ミケランジェロの死後、裸体の一部を隠すため布などが書き込まれました。それが近年の大修復で、一部を除いて付け加えられたそれらの衣装が取り除かれたのです。
一部を除いてということは、取り除かれなかったものがあるということです。正確なことは知りませんが、もしかしたら聖書のイメージとはほど遠い、画面中央の威風堂々としたイエスの腰布も、その残されたひとつかもしれません。
ところでイエスはユダヤ人です。当然ユダヤ教徒として生を受けました。ならばユダヤ教徒として割礼を受けたことになります。ユダヤ教では生後8日目に割礼を行うので、1月1日がイエスの割礼の日とされています。
最後の審判のイエスの腰布の下には、割礼というユダヤ人の証を見るのか、イエスはユダヤ人であるという事実を無視したものを見るのか、そんなくだらないことを考えながら、死海文書について書かれた文字を目で追っていたのでした。
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