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dornblatt
*mardi 16 août 2005

【 見たいのは現場の空気なのだ 】

—— j
ルシンキ世界陸上が終わりました。基本的に録画しておいて、翌日昼間に仕事をしながら流しておくという見方をしていました。実際はTV画面を眺めながら、合間に仕事をするといったほうが正確な表現ですけれども。
それにしても、スポーツ番組を見ていて、いろいろな意味で過剰すぎるという感が、だんだん強くなってきました。選手個人個人に訳の分からないキャッチコピーをつけ、それを競技中も連呼したり、競技と競技との合間にウンザリするほどスタジオで司会者の話を聞かされたり、日本人選手の私的な物語を競技前に延々と見させられたり。
確かに人によっては、そういった物語が付随していたり、司会者がサービス満点に紹介してくれた方が、スポーツを見る上で楽しいという人もいるでしょう。それはそれでよろしいのですが、競技の合間合間にしつこく入れるのではなく、別番組のように中継時間外に流してもらった方がありがたい。
最近のスポーツ番組を見ていると、その多くで画面の四隅のどこかに、現在またはこれから少し先の見所を文字にして表示し続けられます。たぶんチャンネルを替えている人の目を、これで少しでもとどめておきたいということなのでしょうが、この過剰に押しつけられる情報は、いささか閉口せざるをえません。
なにをどう見、または見なかろうと、なにをどう感じ、またはなにも感じなかろうと、好きにさせていただきたいものです。
何年か後にはTVはすべてデジタルになるそうで、そうなると今とは比べものにならないほどの情報を送ることができるようになるでしょう。今以上にどんどん過剰になっていくものは、はたしてスポーツを見る楽しさを、本当に増加させてくれるものとなるのでしょうか。
せっかくTVがデジタル化されるのであれば、必要最小限度の情報以外画面に出さず、解説さえも抜き、現場の音のみを拾い、それをだらだらと流し続ける。競技と競技の合間が空いてしまう時間は、競技場の審判や待っている選手や、器具などを用意している係員などをだらだらと追い続ける。そういったモードも選べるようになってくれたら。私のささやかな願いは、この「だらだら」なのです。
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