
dimanche 14 août 2005—— 虚貝
毎年初詣にいく人に、宗教を信じているかとたずねても「いや、とくに信じていない」と答えたりする。死んだあと骨は海にでも散骨して欲しいという人に、やはり宗教を信じているかと問うても「宗教など信じていない」とかえってきたりする。
これらの行為は、いうまでもなく宗教的な行為であり、ある宗教観に根ざしている。けっして無信教ではない。もちろん信仰の自由は保障されているべきであるわけだし、こう答えたからといって、どこかに問題があるわけではない。
しかしよく言われることに「祖先をうやまわない人間は、ろくな人間ではない」というものがある。これは明確に宗教観を押しつけている。この発言は、無信教は許されざることであり、何らかの信仰心を持つべきである、と強制している。どうやら信仰の自由は保障されても、無信仰の自由は保障したくないらしい。
ところで現在を生きる人たちに、霊魂を信じるかとたずねると、半数近く、またはそれ以上の人が信じているらしい。少し不思議だ。しかし「この時代になってもいまだに霊魂を信じている人が、これほどいるのはどうしてなのか?」と考えることは間違っている。この“いまだに”という部分が大きな誤解をはらんでいる。
戦前、もしくはそれ以前の昔にさかのぼると、霊魂を信じていた人間は、今よりずっと少なかったらしい。霊魂などを信じている人は、ある意味風変わりな人だったのである。
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